17 Apr 2016

東洋古籍文献研究所











1. ノヴォ・ミハイロフスキー宮殿とその最後の所有者の死


 
ノヴォ・ミハイロフスキー宮殿は、ネヴァ川の左岸、エルミタージュ美術館の近くにあります。もともとはロシアの皇族、ロシア大公ミハイル・ニコラエヴィチのため建てられたものです。彼はロシア皇帝ニコライ1世の四男でした。
そして、1909年に、ミハイル・ニコラエヴィチが亡くなったあと、宮殿はミハイル・ニコラエヴィチのの息子ニコライに相続されました。ニコライは著名な歴史学者でもあり昆虫学者でもありました。
そして、ロシア地理学協会の会長を務めていました。
しかしながら、1919年にロシアの科学界は偉大な学者を失いました。帝政が崩壊した革命の後、多くの皇族は幽閉されました。そして、ボリシェヴィキ政府の命令により銃殺されました。
ニコライはそのような運命でした。多くの人は彼を助けようとしましたが、無駄でした。
 1919年にペトロパヴロフスク要塞で 、一月の寒い日にニコライと彼の三人の兄弟は銃殺されました。
死を前にしながら、刑場で彼は死刑執行人と冗談を言い合ったそうです。
  彼は手に子猫を抱いていました 。 その子猫は彼のいた刑務所の病棟に住んでいたのです。最後に子猫をなでて、それを死刑執行人に渡しました。
そして、死刑が執行されました。



2.  東洋古籍文献研究所



現在ここに、東洋古籍文献研究所があります。

 「1818年創立の旧ロシア帝国の科学アカデミー・アジア博物館を前身として、ロシア革命後の1930年にソ連科学アカデミー東洋学研究所としてサンクトペテルブルクに設立された。 」 wikipedia

先日そこに保管されている日本の写本類のコレクションについて調べるためにそこを訪ねました

もっとも面白い日本の写本類の一つはゴンザが編纂した露日辞書(露薩辞書)です。
ゴンザという人物は海難でロシアに渡った日本人です。
そのときにゴンザはわずか12歳でした。 彼はロシア語を素早くマスターしました。 その後、ロシアの皇帝に露日辞書の編纂を命じられました。  その辞書では日本はロシア文字で書かれました。これが世界初の露日辞典となりました。
21歳でゴンザ亡くなりました。

『環海異聞』

    『環海異聞』とは日本の水夫たちからの詳しい聞き取りによって書かれたロシアやその他の国々についての報告書です。
1793 年、石巻港を出た船が、アリューシャン列島の島に漂着しました。

船の乗組員たちは、漂流民としてロシアに受け入れられました。 
彼らは8年間、ロシアに住んでいました。その後、彼らはロシアの世界周航船に便乗して日本に帰国がかないました。 日本に帰国した彼らはロシアや他の国々の事情について聴取されました。
彼らからの聞き取りに基づいて『環海異聞』が書かれました。
世界中に『環海異聞』の写本がいくつかあります。 その一つは、東洋古籍文献研究所で保管されています。


その写本に面白い挿絵があります。日本の画家は水夫たちの説明によってサンクト・ペテルブルクにあるピョートル大帝の騎馬像を描きました。
研究所に保存されている日本の写本や木版本の総数は3000冊ほどです。
一番古いのは17世紀のものです。古い写本は壊れやすいので、触れるべきではないと思われるかも知れません。でも、実際には古い本であっても、本の保存にとっては、時々はページをめくるのがとても必要なことだと私達のガイドが教えました。
そうでなければページは乾燥して、くっつきます。ページをめくることによって、本の寿命を延ばすことができます。
ということは、物を保管すると言うことは、単に保存するのではなく、健全な状態を維持するように管理していくということです。  

写本にはそれぞれの個性があります。 それらの写本は、それぞれに興味を抱かせてくれるものです。 それらは記念の対象だけでなく、研究の対象でもあります。


3. 忍者講演


1ヶ月半前、 東洋古籍文献研究所に初めて訪れました。 そこで、三重大学に所属する三人の教授は、忍者についての講演を行いました。
山田雄司人文学部教授、吉丸雄哉人文学部准教授、川上仁一社会連携特任教授による講演・実演が行われました(三重大学)。



  
忍術を稽古している川上仁一先生が忍者の叫び声をして下さったとき、この宮殿の壁が世紀の夢から目覚めただろうと思いました。
このような催しが、ロシアの歴史的な建造物で行われると、私は特別な感情を心に抱きます。
昔 この建物はロシアの王子の家でした。皇族の方はそのホールを歩いていて、その窓の外を見ていました。

宮殿の窓から見た景色


そして、その宮殿はやがて古文書の所蔵庫になりました。 日本とロシアの文化が初めて接触した時期に書かれた本はここに所蔵されています。
 そして今はここ忍者ついて講義を聞いています。その講演も、やがてこの建物の歴史となることでしょう。





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